〈棄想天蓋〉:文芸とポップカルチャーを中心に

トマトです。学位は品種(文学)です。無名でも有名でもないちょうどよい塩梅の文芸作品をとりあげて雑感を綴ることが多いです。レコードが好きです。

「犬と私」

十歳になった犬を飼っています。

 

先週末に三日ほど家を離れたあいだに、その容態が急変していました。

外からみる分にはただ元気がないだけのようにおもえるために預けた家族には気がつきませんでしたが、お腹に触れると明らかに内臓に変調をきたしていたのです。

そのまま夜間病院で深夜まで診察と治療をしてもらい、朝になってから通っていた病院で緊急の手術を受けました。心肺停止のリスクがきわめて高く、夜間病院では輸血などの処置ができなかったためです。

 

超小型犬ゆえにそもそも全身麻酔自体が危険であり、くわえて心臓疾患もあるため手術を乗り切ることができるかはわからないとのことでした。そして手術をしなければ早くて二,三日で急逝するかもしれないとのことでした。

 

生き物である以上は死を免れることはできず、いずれその日は来るであろうとこころに留めてはいましたが、三日ぶりに顔をみることができたその犬を翌朝に亡くすかもしれないという状況を受け止めるのは難しかったです。

 

まず考えたのは、もしものことがあるとしても自宅で看取ってあげたいということでした。

わたしは家で作業をする時間が多いため、この十年間、基本的にはいつもこの犬がべったりとくっついていました。背中で遊び、昼寝をし、甘える犬を作業の合間に撫でることが習慣となっており、それがお互いにとってのもっともありふれた日常でした。

いつもの場所でいつものように、もしもの場合にはすこしでも安心して死なせてあげたいと考えました。

 

手術が成功しさえすればおそらく完治し、手術をしなければ早晩亡くなるであろうという状況であっても、相当にリスクが高い手術を受けさせることは即断できませんでした。病院で最期を迎えさせることだけは避けたかったからです。

 

即断はできなかったものの、助かる可能性はあるのでそれに賭けて手術をしてもらうことにしました。

そして手術は成功し、麻酔からも意識を戻すことができました。ほんとうに嬉しかったです。

覚醒の直後にわたしの声に気がつき、前肢をもたつかせ、焦点も合わないままにこちらに寄り縋ろうとする姿をみて涙が零れそうになりました。あの光景は一緒に過ごした十年のなかでもとりわけ印象的なものであり、一生忘れることはないだろうとおもいます。

それから三日後、いまだ入院中の今日の午前に心臓が停止してそのまま死んでしまいました。

 

手術も入院も限界以上にがんばってくれたのに、結局わたしはこの犬を無事に家に連れて帰ることができませんでした。看取ること、声をかけて撫でてあげることもできませんでした。

ひとりで寂しく、不安のなかで死なせてしまったことが心残りでなりません。面会で頭を撫でてやる度に涙を流していた姿も一生忘れることはないだろうとおもいます。

 

タオルと保冷材にくるまれていつもの場所に横たわるその身体は昨日と変わらぬ撫ぜ心地であり、うすく笑ったような口許もいつもの見慣れたもののようにおもわれます。生前とまるで変わらないようにおもわれます。しかしながら、いくら撫でても声をかけても変わらないその表情はこの犬が死んでしまったということを理解させてくれます。

 

ほんとうに大好きな犬だったので、いまはただただ謝りたいです。そしてお礼を伝えたいです。

 

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