〈棄想天蓋〉:文芸とポップカルチャーを中心に

トマトです。学位は品種(文学)です。無名でも有名でもないちょうどよい塩梅の文芸作品をとりあげて雑感を綴ることが多いです。レコードが好きです。

指を噛ませる

ふたたび、飼っていた犬の話です。

 

躾には困りませんでした。とてもおとなしい、のんびりとした犬で、教えたことをすべて覚えてくれました。歯磨きをするとき、あるいはピックで歯石を削るとき、口の中に指を入れても動かずにじっとしていることができる犬でした。

先週の火曜日、手術のあった翌日の夕方にはじめて指を噛まれました。

 

病院という環境に相当に怯えている様子でした。

なにもわからないままに手術をされ、そこにひとりで置いていかれてしまったので無理もなかったとおもいます。

くわえて注射と点滴を繰り返されたことも大きかったようです。以前に一度だけ、同じ病院で注射をされた際にひどく暴れたことがありました。そのときわたしは診察室の外に出されていたので詳しい状況は知り得なかったのですが、叫ぶような鳴き声が響き、待合室の空気が固まりました。それ以来、注射と病院を怖がるようになってしまいました。

 

高酸素の治療室のなかの怯えた表情を目にしてなんとも言えない心持ちになりました。撫でること、触れていることですこしでも安心させてあげたいとおもいました。

扉の穴から声を掛けつつゆっくりと手を差し入れるとさらに怯えて隅まで後ずさり、歯を剥いてうなるような姿勢をとりました。そして首を伸ばして、手前で止めていた指に噛みつきました。

歯が生え揃ってからは一度もなかったことなので驚きました。

 

しかしながら驚きより以上に、それほど怖いおもいをしているということが可哀想でなりませんでした。

この犬の性格なり普段の態度なりを考えるに飼い主を噛む(当然ながらそれ以前に獣医の方も噛んでしまっていたとおもわれますが)というのはよっぽどのことであって、そうした状況にありながら何をしてあげることもできないのが悲しかったです。

 

小さな顎の力はおもいのほかに弱く、噛まれたところで怪我もしないし一滴の血も出ませんでした。まるで痛くありませんでした。

弱々しく震えながら指に噛みつく姿をみて、これで不安が治まるのであればいくらでも噛ませてあげたいとおもいました。怖くて噛みつきたいのであれば、好きなだけ噛ませてあげたいとおもいました。

 

病院からの帰りの車のなかで、ふと『風の谷のナウシカ』のシーンが浮かんできました。

野生のキツネリスに指を噛ませたまま《ほらね、怖くない》と声を掛け、そして懐かせる、冒頭部分のよく知られた一幕です。あのシーンの凄さがはじめて分かったようにおもいます。

 

次の日もまず指を噛ませました。

そうするとすこし落ち着き、頭や背中を撫でさせてくれます。

撫でるとやはり嬉しそうにします。笑いながら涙を浮かべ、それが零れてきます。一日も早く家のベッドで、隣でゆっくり寝かせてあげたいと強くおもいました。

 

その次の日は指を噛ませてやることができませんでした。

上から半分を外したクレートに保冷剤とタオルを敷き、そのまま一日ベッドで寝かせてあげてから火葬場へと向かいました。

 

f:id:TAMAIShiology:20150523130329j:plain

 

 

 

 

 

関連記事

tamaishiology.hatenablog.com

 

広告を非表示にする