すこしふしぎ:中井紀夫「見果てぬ風」(1987)
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おそらく一年ほど前から、書店で筒井康隆『旅のラゴス』を頻りと目にするように感じていました。
壁面でピックアップされていたり平積みにされていたり、なぜか目立つ場所に置かれていることが多く、ときにはポップまで付されており、何事であろうか、改版でもしたのかと訝しんでいました。
そんななか、すこし前に、筒井が出演したBSの番組でちょうどこの現象が話題となりました。
『ラゴス』をジブリが映画化するという噂が立ったようだ、など二三の理由を挙げていましたが、どうやら著者本人にもはっきりとは分かっていない様子でした。
(脇道に逸れますが、仮にアニメ化が実現するとしたらジブリ本家ではなく新海誠あたりが『星を追う子ども』みたようなテイストでやりそうだなあ、なんておもったりしました。)
はて、いまさらながらの意外な流行の理由はよく分からないのですが、人気を得る理由はよく分かります。やはりこの作品は、とても読みやすい、だれが読んでもおもしろい作品だとおもいます。
とりわけ読後の余韻は特筆すべきものがあるとおもいます。
この作品とその余韻についておもいを巡らせるとき、わたしの脳中には中井紀夫の「見果てぬ風」という作品が浮かびます。
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中井紀夫は80年代にデビューしたSF作家であり、『世にも奇妙な物語』のノベライズなどでも知られています。「見果てぬ風」は中井の初期作品の一つです。一昨年ハヤカワ文庫から刊行された、〈日本SF作家クラブ創立50周年記念アンソロジー〉、『日本SF短篇50』*1にも採られています。
《やけに大きな足をして、テンズリは生まれてきた》という一文ではじまるこの物語は、生来どこまでも歩きつづけてしまう性癖をもつテンズリという男が世界の果てをめざしてどこまでも歩きつづける叙事詩です。
その作中世界は、平行に伸びる二つの高い壁に挟まれた東西に細長い世界、とされています。
十二歳になったテンズリは《この壁が途切れる場所がどこかにあるのだろうか》という疑問をもちます。その平原に吹くであろう荒々しい風をおもい、それを自らの身体で感じてみたいと望みます。そして旅立ちます。
〈旅〉という題材を共有するのみならず、ひとりの男の人生を描き切る圧巻のスケールと読後の深い余韻が『旅のラゴス』と通じるようにおもわれます。短篇ながら『ラゴス』に勝るとも劣らない傑作です。*2
わたしはこの作品が、ほんとうに、とてもとても好きなのですが、中井紀夫というのは設定における発想が素晴らしい作家だとおもいます。
平行にどこまでも伸びる高い壁に挟まれた世界、脚が異常に強くて幼少期から歩くことに魅せられてしまった男、これらは他の作家がなかなかおもいつかない絶妙な奇想だとおもいます。
お伽噺のような神話のような、ありていに言えばマジックリアリズムのような設定ながら、荒唐無稽に過ぎる奇抜さではありません。
この作品が収められた短篇集『山の上の交響楽』には、わけの分からない挨拶を掛け合う「昼寝をしているよ」、電信柱の上にある平行世界で暮らす「電線世界」など、ちょうどよい加減でおもしろい発想の作品が複数あります。
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中井紀夫のよい短篇はすこしふしぎなのです。ん、っと引っかかり、いつしか引き込まれてしまいます。
そうしたところが短篇の名手フリオ・コルタサルにすこし似ているような気がしています。
奇想の系譜、と言えましょうか。
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