〈孤独〉の遷移:宮澤賢治・谷川俊太郎・高橋さおり
人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがつたりする
火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或はネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがつたりする
それはまつたくたしかなことだ
万有引力とは
ひき合う孤独の力である
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う
宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である
二十億光年の孤独に
僕は思わずくしやみをした
*
『幕が上がる』には、宮澤賢治の詩「告別」とともに、谷川俊太郎の詩「二十億光年の孤独」が引用されています。
現代文の授業で朗読されるそれは「高橋さおり」に重要な示唆を与えます。
「さおり」が書いた「銀河鉄道の夜」は原作と「二十億光年の孤独」を掛け合わせたものですが、題に反して主題的にはむしろ後者の比重の方が大きいようにおもわれます。
そのため〈孤独〉の意味が宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」とは随分と違ったものになっています。
はじめて平田オリザの原作小説を読んだとき、この点にすこしの違和感を覚えました。
この劇中劇は結局のところ「銀河鉄道の夜」に擬態した「二十億光年の孤独」ではないだろうか、と。
映画の比奈駅での「さおり」と「中西さん」の場面を含め、『幕が上がる』における〈孤独〉という主題は宮澤賢治ではなく谷川俊太郎のそれに近いものです。
*
「銀河鉄道の夜」と「二十億光年の孤独」について考えるとき、踏まえなければならない前提が一つあります。
それは、そもそもにおいて両者が影響関係にあるということです。
谷川俊太郎という詩人の誕生には宮澤賢治の存在が不可避的に関わっています。
思想家となった吉本隆明から作詞家である松本隆まで、幼年期または少年期に宮澤賢治から多大な影響を受けたという詩人は数限りなく存在します。
なかでも天沢退二郎と谷川俊太郎の賢治体験は決定的なものであり、おそらく「影響」ということばでは言い表せないほどのものであったのだろうとおもわれます。
よく知られているように「銀河鉄道の夜」は未完の作品です。
現在わたし達が読んでいるヴァージョンは、宮澤賢治の自筆原稿を徹底的に精査したふたりの詩人、天沢退二郎と入沢康夫が中心となって組み直したものです。
それが収められた筑摩書房の『校本 宮澤賢治全集』第十巻が刊行されたのは1974年のことでした。
物語の展開が入れ替えられ、不要な箇所が削られ、それ以前に親しまれていたものとは相当に異なる内容となりました。
(大きな違いは、序盤にあったカムパネルラのお父さんの登場が結末に移されたこと、すべてを「実験」として統括していたブルカニロ博士の存在が抹消されたことなどです。)
ところで、『校本全集』以前の「銀河鉄道の夜」、過去のものとされた「銀河鉄道の夜」にも当然ながら原稿からそれを編んだ人びとがいました。
生前の宮澤賢治は自身も参加していた詩誌『銅鑼』の同人、草野心平、高村光太郎、中原中也らの周辺に知られていた程度でしたが、没後すぐに世間に知られることとなります。
その際の賢治の紹介(≒啓蒙)にとりわけ大きな役割を果たしたのが、当時の文壇の中心にいた横光利一と、論壇の中心にいた哲学者の谷川徹三でした。
「銀河鉄道の夜」の初出は1934年に刊行された文圃堂版『宮澤賢治全集』第三巻です。このとき編集にあたったのは賢治の弟の清六の他、心平や光太郎や利一らでした。
谷川徹三は知己が携わったこの全集をきっかけに賢治を「発見」し、新聞等でその作品とそこにみられる思想、さらには思想と実生活の調和をしきりと讃えることとなります。そのようにしてもっとも有名な賢治紹介者のひとりとなります。
夢中で童話を読みふけり、客が来るたびにそれを朗読して聞かせていたというこの谷川徹三は、谷川俊太郎の父親です。
1931年に生まれた俊太郎はこのような環境で育ちました。
さて、幼児の頃から賢治とともにあった俊太郎は、早くから自身でも詩作をするようになります。
その初期詩篇で描かれたのは、〈悲しさ〉や〈さみしさ〉、そして〈孤独〉に彩られた、ミクロとマクロが交錯する一人称の世界です。
それはきわめて賢治的なものであり、それでいてなお谷川俊太郎だけのものです。とくに時間と空間をともに〈距離〉の問題として考える点は宮澤賢治と大きく異なっているようにおもいます。
「二十億光年の孤独」も初期詩篇の一つです。
この詩を標題作とする詩集『二十億光年の孤独』が出版されたのは1952年のことであって、驚くべきことにそこに収められた詩篇を俊太郎は十代の頃に書きました。
なお、この前年には谷川徹三によって新しく編まれた「銀河鉄道の夜」が岩波文庫に加わりました。
『校本全集』が出るまでもっとも広く親しまれていたのはこのヴァージョンでした。
*
「高橋さおり」が翻案した「銀河鉄道の夜」は「二十億光年の孤独」を間に挟んだ三次創作とみなすべきテクストです。
「銀河鉄道の夜」を原点として「二十億光年の孤独」に至った谷川俊太郎、そしてそれらを紡ぎ直して富士ケ丘高校演劇部の物語として再生産した「高橋さおり」。
バトンが受け渡されるように〈孤独〉という主題が引き継がれていますが、〈孤独〉が意味するものまでは引き継がれていません。三者の〈孤独〉が意味するものは一様ではありません。
それゆえに「銀河鉄道の夜」と題された劇中劇の内実は外形ほどに「銀河鉄道の夜」ではありません。
それはもはや宮澤賢治の文脈からは切り離された、「さおり」にしか書けなかった、あるいは「さおり」が書くべきであった、彼女達自身の物語です。
驚くべき完成度の脚本ですが、十九歳の谷川俊太郎が「二十億光年の孤独」を書いたのだから十八歳の高橋さおりがこれを書いたとしても不思議なことではないと、そうおもいます。
宮澤賢治研究者ノフとして、この作品には感謝しかありません。
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