虚構また虚構、あるいは終りのない虚構:M・ブルガーコフ『劇場』(1966)
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ブルガーコフの『劇場』を読みました。
白水社から出されていたシリーズ「20世紀のロシア小説」(全八冊)の一つであり、数年前に大学図書館の除籍図書を揃いで入手して以来、本棚の隅に積んだまま忘れていたものでした。
門外漢なので批評以外のロシア文学にはまるで馴染みがなく、ブルガーコフも岩波文庫の『悪魔物語・運命の卵』しか読んだことがありませんでした。そしてその一冊から、ブルガーコフはH・G・ウェルズをシュルレアリスムっぽくしたような作家なのだろうと、ふんわりとした印象を抱いていました。
それがこの長篇を読んで大きく変わりました。
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この作品は、いかなる機械よりも複雑な〈劇場〉という組織に絡めとられ翻弄される主人公を描いたものです。
しがない新聞記者であった《わたし》が小説を書き、それがある劇場関係者の目に留まり、名が知られ、戯曲を書くに至ります。しかしながら自作の上演は妨害され遅延され、《わたし》の心は休まることがありません。
これをはじめに読んでいたらブルガーコフ=ロシアのカフカという印象をもっていたかもしれません。
機能が分散して全貌が掴めない巨大な組織に翻弄される主人公。ここでの〈劇場〉はカフカ『城』の〈城〉、あるいは安部公房『密会』の〈病院〉に相当するものとしてあります。
またこの作品は、単にそうしたカフカ的な不条理文学であるというだけではありません。
この作品はいわゆる額縁構造、枠構造となっており、冒頭に重要な「序」が置かれています。そこでこのテクストが死んでしまった身寄りのない友人が遺した手記を基にした小説であること、さらにはその手記自体も友人の《病的な空想の産物》であることが語られます。
すなわちはじめの「序」の段階で以後の物語がすべて虚構であることが読者に断られているのです。
手記、小説、戯曲、演劇と、フィクションをめぐる要素が幾重にも織り込まれている点が、この作品のもう一つの大きな特徴でしょう。
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内容的におもしろく、いろいろと考えつつ進めたので愉しんで読むことができました。
ただしこの作品って未完だったのですよね。
カフカなどのように、未完であるという前提で読みはじめたのであれば別によかったのですが、そういう知識がないままおもしろくなってきたところで未完と知ってしまいました。2/3を超えたあたりからもしやこれはと、3/4を超えたあたりでおそらくこれは、とおもったのですが。
むかしむかし、わくわくしながら宮澤賢治を読み漁っていたときの気持ちをちょっとだけ憶い出しました。「馬の頭巾」よ、おまえもか、などともやもやしたものでした。
まだぴちぴちしていたときのことです。
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