未来としての日本の起源:B・スターリング「江戸の花」(1986)
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かつて、SFはよく日本を舞台としました。
いまでもそうした作品はなきにしもあらずですが、サイバーパンクの時代であった80年代には日本こそが未来であるとして、あるいは未来とは日本であるとして、日本的なものや日本そのものを描くことが定番化しました。
(それらに先行するものとして、日本に住み、日本でSFの創作をはじめたイアン・ワトスン「銀座の恋の物語」などもあります。これを収めた『スロー・バード』はよい短篇集です。)
サイバーパンクの盟主であり日本を贔屓にしているブルース・スターリングにも日本を舞台とした「江戸の花」という作品があります。1986年に発表されてこのかた邦訳書には未収録でしたが、昨年刊行されたハヤカワ文庫の『SFマガジン700【海外篇】』に採られ、わたしはそれではじめて読みました。
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「江戸の花」は、その名の通り火事を主題とした短篇です。
明治のはじめの銀座煉瓦街を舞台に、噺家の円朝と元サムライの小野川が人力車に引かれてそこを訪れたある一夜が描かれます。
裏通りにある絵師芳年の工房で飲んでいる最中に電線から魔物が飛び出し、小野川はそれを毛唐の召使い、毛唐そのものとみなして退治しようと追い回します。逃げた魔物は銀座から新橋、新橋から芝へと南下し、ついにはそこで大火を起こします。
力と美の象徴たる〈炎〉をモチーフとして、近代化しゆく日本のその先にある未来が予見されます。
サムライ、噺家、浮世絵師というきわめて江戸的な登場人物と、人力車、陸蒸気、電線といった新時代のガジェットのコントラストが際立った作品です。
三遊亭圓朝と大蘇(月岡)芳年という実在したふたりを登場人物としているわけですが、外国人であるスターリングがこれを書いたということには素直に驚かされます。
のちに二葉亭四迷は言文一致の実践として『浮雲』を書く際に圓朝の怪談「真景累ヶ淵」などの口述筆記をモデルとしました。したがって明治の文学史には必ず名前が出てくる人物です。
しかしながら、もちろんSFに限らず、日本の作家でも圓朝を小説の登場人物にしようとはなかなか考えないもので、スターリングは非常におもしろいところに目を付けたと感心します。
また、大火の出火元となるのは《愛宕山の東にある芝の労働者町》とされていますが、これは位置からして芝新網町です。明治の東京三大貧民窟の一つであり、人口密度がもっとも高く、最下層とされたスラムです。
必ずしも本筋とはかかわらない〈言文一致〉〈貧民窟〉という明治史のキーワードがさらっと織り込まれており、見かけ以上に奥行きをもった作品であると言えます。
ただし当然ながらおかしな点もいくつかあります。
小野川の発話にみる志士=過激派の若者という説明などは、これぞ外国人の描いた日本、という印象を強く与えます。
より大きく、時代考証にもやはり問題があります。
円朝が三十五歳なので、作品の現在時は明治七、八年頃です。銀座煉瓦街計画が実行されたのが明治五年であり完成が明治十年であるために、その時期ともちょうど合致します。*1
しかし作中でも言及されるように《近代作家》らが三遊亭圓朝の《写実的文体》に注目してそれを規範とするのは明治二十年頃のことです。同様に三大貧民窟が確立して新聞等のルポルタージュによって世人に知られるようになるのも明治二十年代のことです。*2
すなわち作中では、史実として十年強のタイムラグのあるトピックが混在してしまっているということになります。
こうした細部に甘さというか雑さを感じますが、厳密な歴史小説ではないので許容の範囲内であり、やはり感心が上回ります。
よくあるようなオリエンタリズム、ジャポニスム的なまなざしで不思議の国としてのニッポンを描くのではなく、多少なりとも日本の近代史を調べたうえで、石行燈からガス燈へと移行しつつある時代の空気を写し取ろうとした佳作だとおもいます。
スターリングの短篇では他に「招き猫」が〈ポケコン〉の普及した近未来の日本を舞台としていますが、サイバーパンクの盟主がその絶頂期に近現代日本の起源に迫ろうとしたという点で「江戸の花」の方がより重要な作品だと言えるでしょう。
スチームパンクを経た現在こそ、このような作品が国内でも書かれてほしいものです。
ところで、この作品に織り込まれた近代史的な話題は、執筆時期からして、『都市空間のなかの文学』(筑摩書房、1982)をはじめとする前田愛の著作から学んだものではなかろうかとおもいます。
80年代の文学研究の金字塔であり、圓朝も貧民窟も論じられています。
そうしたものをスターリングが原著で読めたわけではないとおもうので、原稿を依頼した早川の編集などに資料の仲立ちをした人物がいるのではないでしょうか。圓朝を登場人物にするという発想もその際に助言されたものなのかもしれません。*3
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B・スターリングは知名度に反して邦訳されていない作品が多々あり、代表作の多くも絶版中です。悲しむべきことに『スキズマトリックス』すら絶版となっているようです。
とりあえず早川書房には『蝉の女王』の復刊を切に切に願います。
この一冊のみは古本相場がべらぼうに高額でなかなか手が出せないでいます。悲しむべきことです。
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