〈棄想天蓋〉:文芸とポップカルチャーを中心に

トマトです。学位は品種(文学)です。無名でも有名でもないちょうどよい塩梅の文芸作品をとりあげて雑感を綴ることが多いです。レコードが好きです。

くじるら くじる えろらる らなる らな なや:大原まり子「銀河ネットワークで歌を歌ったクジラ」(1982)

クジラが船に見立てられ、そして空を飛ばされるというのはSFでよくみる光景です。

形体やスケール感からしてごく自然な連想であって、『ドラえもん のび太の小宇宙戦争』のようにクジラ型の宇宙船が登場したり、B・スターリング『塵クジラの海』のようにクジラそのものが改造された船が登場したりします。

 

後者の一つとして大原まり子の「銀河ネットワークで歌を歌ったクジラ」を挙げることができます。

 

「歌を歌ったクジラ」は農園惑星の畑で暮らす十六歳の《ぼく》と一歳下のローカル歌手であるリガルデ・モアの物語です。

 

四年毎にショーの巡業で訪れるガードゥスに連れられて、この惑星に《クジラ》がやってきます。

《クジラ》は体長が10mもあり、話し、宇宙を翔びます。岩を食べ、何世紀も生きます。地球のザトウクジラの子孫であり、改造されていまのような生物(?)になった、滅びゆく種族の生き残りであるとされます。そして船として胃のなかにひとを乗せることができます。

ふたりはすぐに《クジラ》の友達となります。リガルデ・モアは銀河中に中継されるテレビ番組への初出演に際し、こっそり《クジラ》を連れていき放送をジャックして《クジラ》の歌を中継してしまうという計画をおもいつき……と、お話は展開します。

 

《クジラ》を介して交流が深まり、銀河の片田舎で暮らす少年と銀河の歌姫になろうとするローカルなアイドルとが恋に落ちるのですが、《ぼく》にはリガルデ・モアと結ばれるに足る何があったのか、具体的には示されません。

しかしながらアイドルの女子と平凡な男子というこの組み合わせはとても興味深いものです。

この短篇の初出は『SFマガジン』82年9月号であり、同年翌月には『超時空要塞マクロス』の放送が開始されます。そして『マクロス』でも、主人公としての要素がきわめて弱い主人公がアイドルであるリン・ミンメイに恋をし、親しい仲となります(最終的にはもうひとりの女性、早瀬未沙を含めた三角関係へと発展しますが)。

「歌を歌ったクジラ」はそうした意味でもきわめて80年代的な作品であり、アイドルを題材とした先駆的なフィクションの一つに数えるべきものでしょう。

 

もちろん、同時代性の強い作品であるというのみではなく、実に大原まり子らしい作品でもあるとおもいます。

わたしはこれの他に、大原まり子では「アルザスの天使猫」が好きです。

どちらも読みはじめにはすこしの恥ずかしさを覚える文体ながら、進むうちに次第に引き込まれてしまいました。それだけの魅力のある特異な文章です。

そしてどちらにも、鍵として、人間を超越したふしぎな生物が登場します。それによって作品のスケールが大きくなり、大原まり子ならではの雰囲気のようなものが醸成されます。

「天使猫」では超能力者[タレント]であるスノウ・マンが、「歌を歌ったクジラ」では件の《クジラ》がそれにあたるわけですが、やはり宇宙空間を低音でボンボンふるわせながら泳ぐクジラというのは存在感と夢があります。*1

 

文芸作品における〈クジラ〉はいろいろな視点から考えることのできるテーマです。

SFでは膨大な数の作品の蓄積があり、SF以外でも、たとえば安部公房はクジラの集団自殺に関心を寄せました。哺乳類としての本能、陸上生活の記憶によって溺れることを怖れて岸へと逃避するのではないか、という解釈を示しています。

そうした話題に加えて捕鯨という伝統もあるため、不可避的にクジラの文化史にまで拡大されていくテーマでしょう。

 

それはそうと、クジラ的想像力の作品に出合うたびに大瀧詠一の「空飛ぶくじら」が脳内再生されます。

十二月となり、もうすぐまた一年が経ちます。早いものだと感じます。

 

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*1:なお、「天使猫」のスノウ・マンは美化された白痴の一典型であり、サーカス団に所属しています。そしてそのサーカスの興行主の名は《ガードゥス》とされています。すなわち「歌を歌ったクジラ」と「天使猫」はここにおいてゆるやかにつながっており、作中世界を共有していると考えることもできます。