〈棄想天蓋〉:文芸とポップカルチャーを中心に

トマトです。学位は品種(文学)です。無名でも有名でもないちょうどよい塩梅の文芸作品をとりあげて雑感を綴ることが多いです。レコードが好きです。

Project - Itoh という計画についての雑感

先日、Project - Itoh の映画『ハーモニー』を観ました。

わたしは原作が好きで、重要な作品だとおもっており、四年ほど前から講義で扱うなどもしていました。それもあってこうした形で映画が公開されたことを残念におもいます。

 

遡れば映画『屍者の帝国』も主題が曖昧であるように感じました。

こちらの原作は必ずしも好きとは言えないのですが、少なくとも主題に関しては絶対的に評価をすることはできていました。

屍者の帝国』という小説の凄さは、それまでの伊藤計劃の主題を引き継ぎつつ、同時に円城塔自身の主題もしっかりと織り込んで遺稿を完成させたところにこそあるとおもいます

 

伊藤計劃は遺作である『ハーモニー』において〈意識〉や〈個性〉といったものを問題としました。

ユートピアをめざした健康過剰の社会をディストピアのように描きつつ、最終的に、〈意識〉は人類が進化の過程で獲得したものに過ぎないので失われても生物としての不都合はないのではないか、という結論を導きます。必要であったから生じたのみであって必要がなくなれば消えてしまっても構わない、というきわめて大胆で合理的な見解が示されます。

 

屍者の帝国』の主題にもこの問題がそっくりそのまま内包されています。

意識は伝染病だと言ってしまっても、そう本質をはずしていない》《意識とは人類が進化の過程でひいた風邪だった》、こうした記述が作中にみられます。

そしてそのうえで、生命とは《性交渉によって感染する致死性の病》であるという一つの解釈が示され、〈生と死〉が〈意識〉と同じ問題系に位置付けられます。

作品の終盤では、人類は流れに掉さして屍者となり不死を獲得すべきか、それとも流れに逆行して死を自らの手に取り戻すべきか、という選択が迫られ、最終的に《人類という種が全て、上書きによる屍者となった場合に何が問題となるのか》が問われます。『ハーモニー』を踏襲した展開です。

 

わずか三十枚ほどしかなかった遺稿がうまく『ハーモニー』の延長に位置付けられており、この点が素晴らしいとおもいます。

しかのみならず、伊藤計劃の意を汲み発展させるだけではなく、この作品は実に円城塔的な、〈記録〉として文字が書かれ、それが読まれるということについてのメタフィクションでもあります。*1

“あの”伊藤計劃の遺稿を長篇として完成させたうえにしっかりとじぶんの“らしさ”も出した、それだけで『屍者の帝国』を書き継ぐという困難な試みは十分に成功したと認めざるを得ないでしょう。

物語としてはさほどおもしろいともおもいませんが、以上の主題的な部分でわたしはこの作品を絶対的に評価すべきだと考えています。

 

しかしながら、話題を戻しますが、『屍者の帝国』でも『ハーモニー』でも、映画ではこうした主題的な部分は掘り下げられることなくさらっと流されていたように感じます。それ以前の問題として随分と改変されていたように感じます。

アニメーションとして魅せることを優先させた結果なのか、尺の問題なのか、あるいは作品の読みの相違なのか、理由についてはよくわかりません。

いずれにせよ映画の脚本は〈死〉や〈意識〉という主題よりもストーリーラインを重視して、粛々とそれをなぞっていくものとなっています。

 

BLや百合の要素を強調して物語を色づけするのはよいとおもいます。けれども、ほとんどそれがすべての脚本となっていたようにおもいます。

それゆえにこの二つの映画からはスペキュラティブな原作とはかなり異なる印象を受けました。

映画は原作とは別物であるというスタンスであるならばそれはそれでよいのですが、そうすると作家の名を冠したこの Project - Itoh とはいったい何だったのであろうかという疑問が生じます。

 

この計画が「伊藤計劃」を一般に広めることに寄与したことは確かでしょう。現在進行形で、映画に関心を抱いた少なからぬ人びとを原作に誘導しているとおもいます。同様に、この計画を契機として伊藤計劃論もまとまって出てきました。限界研の『ポストヒューマニティーズ』以来のことです。

ただやはり、とくに『ハーモニー』という作品は、そのような宣伝的な役割を負うために映画化され、消費されてしまってよい作品ではなかったとおもいます。

 

伊藤計劃の作品を映画化するのであれば、十年後、二十年後も残る作品をつくってほしかったという想いがあります。

近い将来に『AKIRA』や『GHOST IN THE SHELL』のような評価を得るSFのアニメーションが生まれるとしたらそれは『ハーモニー』であってほしいと、漠たる期待を抱いていました。*2

なのでやはりこうした形で映画が公開されたことは残念であり、もったいないとおもうのです。

 

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*1:「パラフィクション」ということばも流布しつつありますが、その誕生に際して批判された「メタフィクション」の定義があまりに限定的なものであるため、結局のところその語は〈メタフィクション〉の枠を出ていないし、とくに新規性のある概念ともなっていないようにおもいます。

*2:直接的な内容としても、〈GHOST〉と〈SHELL〉、すなわち〈意識〉と〈身体〉とを分けたときに、『ハーモニー』は従来のサイバーパンクとは反対に〈SHELL〉の優位を主張した点で重要な作品であるとおもいます。

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