〈棄想天蓋〉:文芸とポップカルチャーを中心に

トマトです。学位は品種(文学)です。無名でも有名でもないちょうどよい塩梅の文芸作品をとりあげて雑感を綴ることが多いです。レコードが好きです。

ことばで世界を凍らせるということ

年末年始に、すこしまとめて前衛俳句を読みました。

ふり返ると昨年は詩にあまり触れずに過ごしたということにおもい至ったためです。

ゆっくりと短詩について考えたくて俳句を選びました。

 

何年も積みつつはじめて通読しておもしろかったのは『プロレタリア短歌・俳句・川柳集』です。

新日本出版社の『日本プロレタリア文学集』の最終巻であり、俳句篇には主として1930年前後のプロレタリア系の雑誌に掲載された句が採られています。名のある俳人の句と無名の労働者の投稿した句が並んでいます。

 

  あけりゃ元日の資本主義社会が厳然としていて電車の青いスパーク

 

1936年1月1日、ちょうど八十年前の元日に神代藤平が書いた句です。

このように無季自由律で口語や俗語を交えた相当に前衛的なものが多いのですが、なかでも関心を惹かれたのは栗林一石路と橋本夢道の句でした。

 

  シャツ雑草にぶっかけておく

  俺たちのいない工場は星空の煙突ばかり

  米の値も知らず稲の花が咲いてけつかる

  もう吸う血がない死顔をはなれてゆく蚊

  鬼灯やいでおろぎいと噛みつぶす   (以上、一石路)

 

  泣けるだけ泣いてしまってから彼を葬るに兵営の規則

  死亡室の白布の下の死顔もう一度見たい母が叱られる

  おいら娘を売ったまでよ、今年も日照らぬ田よ寒かんべ

  なみだを拭いてわたしは親に売らせたが、買われてもこれはわたしの涙

  ゴム管が一つの肺に垂れている港[うみ]   (以上、夢道)

 

プロレタリア俳句なので無産者の生活、とくに病いや死を題材とした句が主立っています。そしてそれらが読み手にきわめて鮮烈な印象を与える短詩となっています。

巻末の解題に目を通して得心がいったのですが、このふたりも前述の神代藤平も『層雲』の同人とのことでした。

『層雲』は1911年に荻原井泉水によって創刊された句誌です。この雑誌は俳句の自由律化を推し進めた橋頭堡であり、国語の教科書的には尾崎放哉や種田山頭火を輩出したことで知られています。

一石路も夢道もそこから出発したとのことで、やはり『層雲』と井泉水というのは凄いのだなあ、と素朴な感想を抱きました。

 

わたしは俳句そのものには関心がなく、句集を熱心に読むということもほとんどありません。

俳句には俳句の文脈、固有の背景がありますが、そうしたものを考慮しようともおもいません。

まったくもって無知ながらそれでもときおり俳句を読もうとおもいたつのは、詩に関心があるためです。

 

はじまりは高橋新吉など大正末年のモダニズム詩に愛憎こもごもの念を抱いたことでした。

そのうち必然的に『詩と詩論』に行き着き、そこで展開された理論や実作を眺めつつああでもないこうでもないと思案するようになりました。ことばを道具として組まれた主智的な詩(ポエジイ)に触れるなかで、じぶんが詩に求めるもの、じぶんにとっての詩の定義のようなものを固めていきました。

図書館ですこしずつコピーを取り飽きもせずに頁を繰っていた学部生の頃がもっとも幸いな季節だったようにおもいます。

(なお、その後しばらくしてから復刻『詩と詩論・文学』の揃いを破格で入手して大変に感慨深かったのですが、いざ手許にあるとそれで満足してしまって今日まであまり読んでいません。まだぴちぴちとしていた頃のわたしにプレゼントしてあげたい気がします。)

 

こうした経緯もあり、わたしにとっての詩として大きな位置を占めているのは散文詩と短詩です。

後者の文脈に置いて、短詩の一形態とみなして俳句を読んでいます。

モダニズムの短詩としてまず挙げられるのは『詩と詩論』の前身の一つである『亜』の同人、北川冬彦安西冬衛らによって書かれたものです。

 

  石の上の掻痕。/「爪」

  さびしい街の洋館のガラス窓がみんな破れてゐた。/「海」

  暗い湿っぽい三和土の上で狆が嚔をした。/「寡婦

  落日が、ハイジャンプする少女の楽器のやうな腰部に、ぱーんと照り返って落ちた。/「落日」

  軍港を内蔵してゐる。/「馬」   (以上、北川冬彦

 

  西風の中に菱の実の菱の剣は――もう泥の下。/「西風の中」

  ハガキは裸のやうな気がして、恥ずかしくつてどうも出せないといふ。/「うそ」

  彼女は子、丑、までしか知らないといふ。/「学力」

  鰊が地下鉄道をくぐつて食卓に運ばれてくる。/「春」

  てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた。/「春」   (以上、安西冬衛

 

一石路や夢道とそれほど変わらない時期、微視的にみればここでの一二年の違いは大きな断絶を生みかねませんが、巨視的にみればほぼ同時期に書かれた詩です。

両者が書こうとしているもの、その目的はまるで異なっていながら、形式が形式だけに共有部分もなくはありません。安西冬衛の「学力」はプロ俳句に紛らせたとしてもなんら違和感がなく、橋本夢道の《ゴム管が一つの肺に垂れている港》はサンボリスムの短詩のようでもあります。

一石路ら前衛俳句の作品はより直截的で社会的、冬彦ら短詩運動の作品はより暗示的で美的あるという差はありつつも、提示されたイメージの強度はどちらも瞠目すべきものであるとおもいます。

 

話題をすこし移しますが、これまでに読んだわずかばかりの句集のなかで強く印象に残っているのは高柳重信のものです。

全句集で読み、とくに『蕗子』から『黒弥撒』までは、こういうことを試みた俳人もいたのかとおもしろくおもいました。

 

  身をそらす虹の

  絶巓

      処刑台

 

  蝶が降る

  ――黒い蝶類

  たじろぎみじろぎ

  わたしは埋まる

 

  踊らんかな

  (瀕死)

  真赤な

  血の手拍子

 

     咲き

    燃えて

   灰の

  渦

   輪の

    孤島の

     薔薇

 

  燃え

  あがりつつ

  化粧の蝶が

  降らす 灰

 

形式的な特徴は、一読して明らかなように、視覚的な印象と特異なリズムとを生む分かち書きです(ただし自由律でありながらリズムの基本は定型からさほど遠くないようにもおもわれます)。

内容的な特徴は虚構的な句、観念的な句が多いことです。形而上的な短詩であり、あたまのなかで描かれた情景や物語が詠まれていきます。*1

 

こうした内容とそこにみられる語彙は、寺山修司とかなり近いように感じます。

わたしは両者が影響関係にあったのかどうかを知りません。

しかしながら、《レモン水飲むよ夏帽真深にし》《隻脚の少女ゆ遠き夕茜》《六つで死んでいまも押入で泣く弟》、たとえばこれら三句は署名がなければどちらが物したか判別しかねるようにおもいます。

このあたりのことについては時間を設けて考えてみたいです。

 

高柳重信の句について吉本隆明は戦後の詩歌全般をとりあげて現代詩の解説を試みた『現代日本の詩歌』(改題『詩の力』)のなかで言及しています。

「俳句という表現」という項で、短歌よりも新しい様式である俳句はモダンな要素を醸し出す表現であること、とくに高柳が俳句的な定型を壊して短詩に近い作品をつくったことを紹介しています。

ジャンルを揺さぶって自在な句を模索した高柳の試みを評価しているのでしょう。

 

ところで、吉本隆明はかつて「詩とはなにか」と題した随筆で次のように述べました。

 

一九五二年頃「廃人の歌」という詩のなかで「ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだろうといふ妄想によつて ぼくは廃人であるさうだ」という一節をかいたことがある。この妄想は、十六、七歳ころ幼ない感傷の詩をかきはじめたときから、実生活のうえでは、いつも明滅していた。その後、生活や思想の体験をいくらか積んだあとでも、この妄想は確証をますばかりであった。

〔……〕

詩とはなにか。それは現実の社会で口に出せば全世界を凍らせるかもしれないほんとのことを、かくという行為で口に出すことである。こう答えれば、すくなくともわたしの詩の体験にとっては充分である。(『詩とはなにか』9-13頁)

 

わたしは詩において問題とされるのはなにを書くかではなくどう書くかであるべきだと考えます。

詩とは一つの形式であり、絵画や音楽とは異なる、散文とも異なるものです。そうであるならばこの形式で重要なのは徹頭徹尾ことばそのものであり表現でしかないと考えます。

イデーではなくスタイルを、シニフィエではなくシニフィアンを詩の実体として認めています。

それゆえに戦中派の詩人よりはモダニズム期の詩人などに近しさを覚えることがあります。

《社会》や《現実》、そして《ぼく》といった意味に重きを置く吉本隆明の詩観にもあまり共鳴はできないのですが、詩が世界を凍らせることばであるという点は首肯できます。

ただし《ほんとのこと》を突きつけて《全世界》を凍らせるということが実感に適う訳ではなく、世界=読み手をはっとさせて搦めとってしまうことばであることを詩の必要条件の一つだと考えたいです。

 

優れた詩は一行でも世界を凍らせしめる鋭利さを備えています。

ドキュメンタリーなものであれイマジナリーなものであれ、そうした詩に出会うのは喜ばしいことです。

短詩もしくは断章を集積することで全体を成立させる詩集を一つの理想としているので、しばらくぶりに俳句に触れていろいろとおもうことがありました。

 

好きなものを好きなように書いてみた結果、はじめに想定していた字数の倍くらいの分量になってしまいましたが、雑にしか見通しをたてずに書き出す、寺山修司に倣って言えばコード進行だけを決めてモダンジャズの手法で文章を書いてみるというのは研究とは違った愉しさがあります。

プロレタリア俳句からはじめた随筆が吉本隆明に着地するとはおもいませんでした。

 

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*1:そもそも第一句集の『蕗子』という題からして、いつか出会うであろうと予感している架空の女性の名前を冠したものです。安西冬衛『軍艦茉莉』をおもわせるきわめてフィクショナルな発想です。