竹中郁、リリカルなモダニスト
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一つ前の記事のなかで『詩と詩論』に言及したところ懐かしさを覚え、久しぶりに何冊か開いてみようとおもい立ちました。
読み進むうちに線を引いた箇所などにあたり、かつて考えたであろうことを朧げに憶い出しました。
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この雑誌に加わった代表的な詩人には、編集者でありイデオローグであった春山行夫、詩論と実作の両面で圧倒的な存在感を誇った西脇順三郎、短詩運動や新散文詩運動を牽引した北川冬彦や安西冬衛らがいますが、わたしがとくに関心のある詩人は北園克衛、瀧口修造、三好達治、そして竹中郁です。
三人に較べると竹中郁は幾分か知名度に劣るかもしれません。
しかしながらその作品は錚々たる面々の並ぶ『詩と詩論』にあってもひときわ目を引くものでした。
眠り
しばらく地球から出てゆくために、僕は縞のピジヤマを着る。
《縞のピジヤマを着た石が横たはつてゐます。
《希臘神殿の円柱のかけらですね。
《こいつは愚かにも人間を真似してゐるのですよ。
《水をかけてみませうか。
気味わるく汗ばんだピジヤマを脱いで、ああ又僕に朝が来た。
地球
すばらしい驟雨があらゆる声々をのんでいつた。死の世界もかうは静寂ではないであらう。僕の体は、ほんの瞬間ではあつたがこの地球[よ]ではない喜びにうちおののいた。
驟雨がやむのと一緒に、僕はとてつもない速力で地球の表面へ牽きもどされる。悲しい速力。悲しい速力。
第一詩集の『黄蜂と花粉』から、竹中郁の詩は邪気のない清新な感覚がもっとも大きな特徴であるようにおもいます。それは単にモダンだというだけではなく、俗世との限りない隔たりのようなものも感じさせます。
『詩と詩論』の同人であった時期に竹中郁はヨーロッパにいました。関西学院を卒業後、父に出資をしてもらいフランスを中心とした二年間の洋行に出ていたのです。
ちなみにこのときの資金は一万円とのことで、これは『値段の明治・大正・昭和風俗史』を参照するとほぼ同時期(昭和六年)の内閣総理大臣の年収(九六〇〇円)に相当する金額です。カフェのコーヒーだと一杯で十銭、ダイアモンドだと一カラットで四〇〇円といった物価です。
いかに富裕であったかがうかがえますが、詩に生活感がなく軽みのようなものが際立っているのにはそうしたことも関係しているのでしょう。
そしてそれは宮澤賢治とも共通する特徴であるようにおもいます。引用した「眠り」における空想なども宮澤賢治ときわめて近しいものであり、両者は並べて考えることができるかもしれません。
欧州のモダニズムに触れ、自身でも「ラグビイ」や「百貨店」などのシネポエムを書いて同人らに少なからぬ影響を及ぼした竹中郁ですが、抒情的であるということもまた特徴として挙げられます。
詩の行方
詩よ。おまへはおまへを僕の中へ閉ぢ込めたなり、何処かへ去つてしまつた。僕が苦しまねばならぬのはそのためだ。僕の血管にはおまへが脈を打つてゐる。僕はありありとおまへを間近に感じ乍ら、しかも其処におまへは居ない。
時どき、僕は耐へ切れなくなると、自分で自分の皮膚を引き裂いて、おまへを開放しようとする。
そしてその度ごとに、おまへはだんだん僕の体の表面を隠すやうに染めてゆく。悪く濁つたインクの雲で。
僕は害はれた。(僕に残つてゐる半生。)
やがてその中[うち]に、僕は僕でなくなつてしまふのであらう。ペン軸を手にしたまま。
『詩と詩論』前後の作品が収められた詩集『象牙海岸』にも抒情的、感傷的な詩は多く採られています。一口にモダニストと言っても徹底して理性で詩を構成することをめざした春山行夫や北園克衛らとは相当に異なり、同人のなかでは三好達治や丸山薫、堀辰雄らと似た方向性のものです。
この時期の竹中郁には、一方ではきわめて主智的な詩を志向し、また一方ではきわめて感傷的な詩を志向するというアンビヴァレントなおもしろさがあるようにおもいます。
モダンかつセンチメンタルな詩としてわたしが好きなのは次の一篇です。
ピアノの少女
少女はピアノを弾く。少女はピアノになる。少女はなくなる。
少女の友達が訪ねてきて。
「あら、この部屋は籬子さんの匂ひがぷんぷんしてゐるわ」と云ふ。
友達の少女はピアノの鍵に触れてみる。
突然、ピアノのうへの花が生きてゐるやうに落ちてきて、友達の少女の裾のあたりを泣いたやうに濡らした。
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その後の竹中郁は詩誌『四季』の同人となり、三好達治らとともに散文詩を書き、形而上的な抒情の方向へと進むことになります。そしてさらに戦後になると児童文学に尽力することになります。
美しくて悲しい、モダンでありながらもリリカルでセンチメンタルな竹中郁のポエジイはそもそもが児童文学的なものにおもえます。
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