北園克衛、聡明な水晶の脳髄またはフラスコの中の湖
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意味によつてあまりにも混乱した詩は、すべての葉を失ふかはりに、無作法な雀らの群集する一本の木を思はせる。
*文学に於て、書かれた部分は単に文学に過ぎない。書かれない部分のみが初めてポエジイと呼ばれる。フロオベルが詩人であったのは、フロオベルが書いた文学に比較して、彼がいかに多くのポエジイを彼自身に持つてゐたかを意味するに外ならない。
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意味のない詩を書くことによつて、ポエジイの純粋は実験される。詩に意味を見ること、それは詩に文学のみを見ることにすぎない。
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昨年末、北園克衛の散文集『白昼のスカイスクレエパア』が出版されました。
収められた三十九の掌篇のうち三十五篇が書籍初収録という稀少な作品集です。
時間もできたしここのところモダニズム詩にも接していたしということで、そろそろこの本を読もうかとおもったのですが、なんだか勿体ないような気がしています。
そこで暖機運転がてら『北園克衛全詩集』から読むことにしました。
いつもは部分的に眺めて満足してしまうので、この機にはじめから終りまで通読し、そのまま『白昼のスカイスクレエパア』に移ろうかとおもっています。
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モダニズム期の北園克衛は『白のアルバム』と『円錐詩集』がおもしろいです。
冒頭に引用した断章は『白のアルバム』に序文として置かれた春山行夫「北園克衛について」からのものです。詩と意味について述べた文章です。
初期の北園は春山を含めた周囲からシュルレアリストのひとりと目されていました。たしかにシュルレアリスムはこの詩集でも大きな位置を占めており、「図形説」と題されたパートにはたとえば次のような詩があります。
活字で図形を描くタイポグラフィはフューチャリストやダダイスト、シュルレアリストが好んで用いた手法です。北園のものはよく知られているアポリネールや萩原恭次郎のもののように明快ではありません。なんとなくわかるようでいてなんだかよくわかりません。
これを含めてシュルレアリスムをおもわせる詩はいくつもありますが、実際にはその枠に収まらないものが過半です。『白のアルバム』は第一詩集ということもあっていろいろなベクトルの詩が混じり、玩具箱のようなにぎやかさです。
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北園克衛は時期により詩集により作風が異なり、それらを不定期に繰り返すという傾向があるようです。したがって詩集単位で印象も随分と異なるのですが、一貫しているのは視覚中心であるということです。
『サボテン島』に《Sentiment などは無い。Sense があるばかりだ》と記した北園克衛はなによりも感覚に重きを置いた詩人だと言えるでしょう。そしてこの詩人にあっては感覚と視覚はほぼ同義です。
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魔術する貴婦人の魔術する銀色の少年
魔術する貴婦人の魔術する銀色の少年
赤い鏡に映る
赤い鏡に映る
白い手と眉と花
私
空間
(「記号説」)
情景や現象を視覚的かつミニマルに描写していくのが北園克衛のスタイルの基本です。
そしてその詩空間では〈白〉と〈静寂〉が地となっています。
題名からして『白のアルバム』はそれが顕著で、さながら《石膏の部屋》といったイメージです。
白い空間という地に多彩な色のオブジェが図として配置されます。《紫の頸》《赤いパラソル》《青い窓》《黄色いシルクハット》《桃色の貴婦人》《緑色のモノクル》などなど、色の名前が直截に記されること、単色であることが特徴です。
静寂に対しては、物体が割れる音、人間が叫ぶ声が異物として挿し込まれます。
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色をともない、図として浮かびあがってくるものには鉱物が多いです。モダニズムらしい《宝石》という語は『白のアルバム』にも頻出します。
それら鉱物のなかで、色のない〈硝子〉と〈水晶〉は異彩を放っています。とくに後者はもっとも重要であり、北園克衛を象徴する語句の一つでしょう。
〈水晶〉へのフェティシズムは『円錐詩集』で頂点に達します。
硝子の夜の少年の散歩
望遠鏡空間が怠けて楕円形になり、2角形になり、抛物線になり、溶けてしまつた。無色透明の美しい少年が水晶のパイプを喞へてカメラの中に現はれてくる。こんにちは、私の美しい白い写真師! 写真師はプラットフォムの椅子にゐる。
幾何図形と鉱物は北園克衛のポエジイの中枢を成しています。
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〈硝子〉や〈水晶〉に連なる、透き通る硬質なものとして〈水〉を挙げることができます。
モダニズムの詩で〈水〉というと庭園の〈噴水〉のイメージ、もしくはヴィーナスに紐づけられた〈海〉のイメージが典型としてあります。もちろん北園にもそのような詩が少なくはなく、とくに《夏の海》は『若いコロニイ』以後によく現れるモチーフです。
それらとは別に、静的な水、流れない水のイメージもままみられます。
あたかも湖水のようであり、それは同時期の詩人のなかでも北園克衛に固有のものであるとおもいます。
《森の人魚》というフレーズが印象的な詩があります。
浪漫の酒
森の人魚は森の舞台に森の人魚の唄を唄う その人魚の若い父親 それはまつたくかの女の親友 若い理髪師であった
かの女の鳩の環 かの女の鳩の縞は かの女の胸の雲母の内側に光る さうしてかの女の腿の上に滑つて燃えてゐる
それはかの女の非常な楽器 釣鐘草の上であつた
森の人魚は最新流行の眼鏡を懸けて湖水の中に沈みたまへ
噫 薔薇色の頭髪の恋人よ眠れ 眠れ 眠れ 杉の樹の上に眠れ
黄色に面白い車に乗つた美麗な娘 かの女はもとタイピストであつた それからやがて人魚であつた それからまたしばらくして それは誰れのためにも美しい人魚であつた だがいまでは貝のスリッパをはいて走つてゐる かの女は女 退屈な女優にすぎない
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湖水から斎藤史の短歌を憶い出しました。
わが頭蓋の罅を流るる水がありすでに湖底に寝ねて久しき
二・二六事件を経て書かれたものです。はじめて読んだときに少なからず衝撃を覚えました。
わたしは海よりも、閉じた湖のイメージに惹かれます。
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