〈棄想天蓋〉:文芸とポップカルチャーを中心に

トマトです。学位は品種(文学)です。無名でも有名でもないちょうどよい塩梅の文芸作品をとりあげて雑感を綴ることが多いです。レコードが好きです。

米袋のプリマドンナ

講義の最終回のあたりに、映像資料を用いることがしばしばあります。

歴史や文化に関する講義では視覚的に確認することで理解が深まる場合が多いためです。画像もよいですが動画だとよりインパクトが強く、印象にも残りやすいようです。

 

先日、その資料を選ぶなかで『ニュース映画で見る昭和の光景』という番組を観ました。

これはヒストリーチャンネルで放送されたもので、数年前に各一時間で全十五話の一挙放送が行われた際に録画したものです。

主として高度経済成長期の社会的、風俗的な事象が短いニュースのかたちで次々に紹介されていきます。

 

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通勤する団地族とそれを狙う無許可の闇タクシー、「白タク」(S45.2)。

団地に白タクとくればどうしても安部公房『燃えつきた地図』を連想してしまいます。

 

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男女が性差のほとんどない恰好で街を歩く風潮にコメントする三島由紀夫(S30.9)。

春信の浮世絵を例に、平和の時代には男女の風俗はだんだんと接近するものだと述べています。

 

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団体旅行の寝台車通路(S33.3)/お盆休みの上野駅ホーム(S37.8)。

わずか半世紀前には日本でも珍しくはなかった公共の場に塵芥が散乱する光景です。

 

さて、この番組を通じてわたしがもっとも気になったのは「米プリマ」です。

 

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昭和39(1964)年の流行だそうで、上の映像に《米袋をハンドバッグ替りに持ち歩くのがことしのサマーモードとか》というナレーションが入ります。

東京オリンピックの年であり、『おそ松くん』(『おそ松さん』ではない)に登場するイヤミの《シェー》が流行語となった年です。かっぱえびせんワンカップ大関が発売された年でもあります。

その1964年になぜ服飾雑貨として米袋が流行したのか、ふしぎです。

 

このようなときに重宝する『1946-1999 売れたものアルバム』にも記載はなく、ネットですこし検索してみてもこれといった情報は得られませんでした。

ただ、同年に大流行した「みゆき族」が紙袋や麻袋を好んだので、「米プリマ」もその亜種であることは疑いありません。

そこで「みゆき族」についての文献、難波功士「戦後ユース・サブカルチャーズについて(1):太陽族からみゆき族へ」などを眺めてみたところ、当時の六本木に集まった若者には富裕な東京出身者が多かったのに対して、銀座に集まった若者=「みゆき族」には東京近郊を含む地方出身者が少なくなかったとのことでした。

もしやそれが米袋につながるのだろうか、ともおもったのですが、それだけではよくわかりません。*1

 

当時はまだ女性の衣服は既製品ではなく手づくりが主であり、男性のVANやJUNに相当する牽引力のあるブランドも存在しませんでした。

色も似ているし丈夫だし男性がVANの紙袋ならば女性は米袋だ、ということなのでしょうか。

ハンドバッグの代替物としてではなくブランドの紙袋の代替物として考えてみると、金銭にあまりゆとりのないハイティーンがもっとも身近なところにあり経済的かつ実用的である米袋を選んだのもなんとなくわかるような気がしてきます。

ほんとうに、なんとなくですが。

 

みゆき族」は半年で消えました。したがって「米プリマ」の発生と消滅もその期間に収まります。

日本の現代史においてほんの一瞬だけ米袋を小脇に抱えることがお洒落とされる季節があったということは、やはり非常に興味深いです。

 

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The Rise And Fall Of KOMEPRIMA From Miyuki St.

 

*1:ちなみに年表を繰っているうちに新品種「ササニシキ」が開発されたのがこの前年であるということに気がつきましたが、もちろんのこと関係はなさそうです。