〈棄想天蓋〉:文芸とポップカルチャーを中心に

トマトです。学位は品種(文学)です。無名でも有名でもないちょうどよい塩梅の文芸作品をとりあげて雑感を綴ることが多いです。レコードが好きです。

ドキュメンタルな《僕ら》/フィクショナルな《私たち》

『AMARANTHUS』と『白金の夜明け』が発売され、DOME TREKも三分の一が終りました。

それらに合わせてTV番組への出演も久々に多く、録ったものをひたすらにリピートして観ています。

音楽番組では『あたしの音楽』での「マホロバケーション」、とくに《ニ・ル・ヴァ・ー・ナ》のときのあーりんのアップが気に入っています。

その他『スカパー!音楽祭』での「Birthday」が尋常ではなくよかったようにおもいます。目前に迫ったソロコンへの夢が拡がります。

奥さんが微笑む高城さんと目を合わせて《いつでもあなたの味方なんだよ》と唄う場面はなんだか感動してしまいました。

しあわせな日々です。

 

この半月は二枚のアルバムばかりを聴いていますが、清竜人による二曲がおもしろいとおもっています。

二十もある新曲のすべてがよく、ライブで聴くとCD音源とはまた異なるよさ、おもしろさが発見できる実に素晴らしいアルバムです。単純な再生回数では「ゴリラパンチ」が群を抜いて多いものの日ごとに聴きたくなる曲も変わっています。

 

すべての曲がよいとは記しつつ、「デモンストレーション」と「イマジネーション」についてはしばらくあまりぴんときていませんでした。もちろん二つともに意外性のある曲そのものには驚かされましたが、イントロの語りをはじめとして歌詞への違和感が拭えませんでした。

これらがこれまでのももクロ楽曲と大きく異なる点は、歌詞の《私》が非常にフィクショナルな《私》であるという点だとおもいます。

 

ところでわたしは清竜人についてはまったく知らず、『Quick Japan』のももいろクローバーZが特集される号でしばしばみかける名前、としか認識していませんでした。

ザク衣裳のももクロが表紙の『QJ』第102号に四枚目のアルバム『MUSIC』のインタビューが載っていたのでぱらぱらと眺めてみたところ、ここで清竜人は《アイドルポップス》や《音楽に台詞を融合させたミュージカルみたいなもの》への関心を語っていました。

そしてこの『MUSIC』というアルバムでは生々しさ(ドキュメント性)をフィクションというオブラートで包んだ、フィクションの濃度を高めた、ということを述べています。

いまから四年ほど前の発言ながら「デモンストレーション」と「イマジネーション」にもこれに通じるものがあるという感想をもちました。

 

たとえば吾らがリーダーが《私》《私たち》と唄うとき、これまでその多くは限りなく「百田夏菜子」「ももいろクローバーZ」とイコールに近いものでした。ももクロを想起させる《私たち》でした。

同様に《君》という呼びかけの多くもファン=モノノフを想起させるものでした。

「きみゆき」や「今宵、ライブの下で」はその典型であり、「MOON PRIDE」や「『Z』の誓い」のようなアニソンの歌詞でさえある程度はももクロのイメージに沿うものとなっていました。

 

それに対して「デモンストレーション」と「イマジネーション」にみられる《私》《君》《貴方》にはそのような含意はありません。ももクロ的な文脈からは逸れています。

曲調と相俟ってとても強烈に「清竜人」の世界観が打ち出され、そこに違和感や戸惑いを覚える余地があるようにおもいます。

わたしははじめ、これらは唄い手がももクロでなくても成立してしまう曲なのではなかろうかという疑念を抱きもしたのですが、ライブで実際に目にして印象が大きく変わりました。

百田さんと約束したのでネタバレはしませんが、曲に入るまでの演出も含めて、ツアーを彩るサーカス的な雰囲気は清竜人の楽曲が担うところが大きいようにおもいます。

曲順からして二枚のアルバムでも核のような位置づけがなされている、その意味がすこし分かったような気がしました。

 

これまで曲にはいろいろなタイプ、ジャンルのものがありながらも歌詞にはももクロらしいものという縛りがあったようにおもいます。違和感を覚えるほどにももクロらしからぬ歌詞というのはなかったようにおもいます。

清竜人の楽曲はそうしたももクロらしさ、モノノフの共感や感情移入を呼ぶ歌詞とは異なるベクトルのものであり、歌詞の多様さという面でブレイクスルーをもたらすのではないかという予感がします。*1

そしてもちろん、異質である清竜人の楽曲を歓迎することができるのは、同じく新曲のなかに「モノクロデッサン」という聴くだけで泣かされてしまうような素晴らしい楽曲があるためです。

一方で「モノクロデッサン」のようなももクロについて自己言及的な歌が今後もありつづけて、また一方で現実のももクロとリンクしない虚構的な歌が生まれていくことによってももいろクローバーZの楽曲の幅がさらに拡がると嬉しいです。

 

『フォーク村』で本人達が聴いたこともないような、そのうえ自らのレパートリーには絶対にないような歌を唄うようになり、ももクロの五人の可能性はすでにインフィニティに違いありません。

よしんば曲も歌詞も「酔いどれかぐや姫」級の新曲が与えられたとてももクロちゃんならばきっとものにしてしまうはずだと信じていますし、愉しみでもあります。

 

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*1:メンバーと面談をしてももクロ的な恋愛の歌を書こうとした只野菜摘が苦戦を強いられたのに対し、ももクロに囚われることなく放課後の女子高生をイメージした清竜人が「イマジネーション」というももクロ史上もっとも恋愛恋愛した歌をつくってしまったことはとてもおもしろいです。