〈棄想天蓋〉:文芸とポップカルチャーを中心に

トマトです。学位は品種(文学)です。無名でも有名でもないちょうどよい塩梅の文芸作品をとりあげて雑感を綴ることが多いです。レコードが好きです。

ヴィヴィッドな世界

昨日の昼頃に論文を一つ脱稿し、送付しました。

指定された論題が「震災と文学」についてであったので宮澤賢治と文明について書きました。

その夜に熊本を中心とする大きな地震が起こり、いろいろなことを考えさせられます。

 

深夜にまで避難所の様子が中継されていましたが、そこが屋外であるということに驚きを覚えました。

九州であれ四月の夜はまだ寒く、不安なまま吹き曝しのビニールシートのうえで一晩、あるいはそれ以上を過ごさねばならないというのは酷です。当日に雨は降らなかったものの一日早ければどうなっていたか、避難所が避難所として機能しているか疑問です。

 

東日本大震災から五年が経ったいまも「3・11」に関する言論は盛んで、文学や歴史などの研究の場でも頻りに目にします。

しかしながら、ともすれば時間の経過とともに震災≒原発となりつつあり、地震津波により直截に害を被った人びとを置き去りにしてしまってはいないだろうかと反省します。

文学研究の場において震災の文脈で論じられる作品の多くは、日常が壊れてしまったことへの失意、またはこのような状況に至らしめた体制への怒りを表出するアクチュアルな作品であるようにおもいます。

具体的には川上弘美「神様 2011」などであり、それらの作品やそれらを論じることが重要であるのは言を俟ちませんが、偏ってしまいつつあるのではないかとおもうのです。

 

SF作家の瀬名秀明東日本大震災からおよそ半年の時点で次のように記していました。

 

テレビのトップニュースが津波から原発へと移ったとき、宮城県の人々はマスメディアというものがしょせんは東京の視点で動いていたことを敏感に察したかもしれない。まだ地震津波の痕は厳然と自分の眼の前に残っているのに、それはヴィヴィッドな世界として感知されるのに、東京から発信されるニュースは別の関心へとあっさりと身を翻して去って行ったからだ。現実の最先端である鮮やかな時間は仙台にあるのに、東京はまるでパラレルワールドへ分岐してしまったように思えた。

〔……〕東京の言論人は〝3・11以後〟などといい始めていたが、いつだって〝いま〟という切っ先は地方にあった。それを彼らが気づかなかったに過ぎない。かりに〝3・11以後〟があるのなら、それは切っ先に住む地方の人々が、東京のメディアを時代遅れだと認識し、その溝がもはや埋まらなくなった状況を指すのかもしれない。

(「SFの無責任さについて」『3・11の未来』118-119頁)

 

《切っ先》に住む瀬名は、あの大震災ですらわずか半年で鮮やかさを失ったと感じたようです。

じぶん達にとって鮮やかな時間であり鮮やかな景色である「いま‐ここ」の被災地が、東京をはじめとする他地域の人びとにとっては早くも過去のものになってしまったことを冷やかに指摘しています。

 

たとえばオナガワエフエム(旧女川さいがいFM)などが活動をしている女川の状況をみても、軽々しく《3・11以後》などと言うことはいまだ憚られます。そしていま《切っ先》は熊本にもあります。

阪神淡路大震災以後、五年かそれより短い間隔で「震度7」に相当する地震が起こりつづけていたということをあらためて思い出しました。

 

 

 

 

 

追記

下の記事を読むに、屋外の避難所の件は被災者の方々が自主的に《余震が怖くて部屋の中にいられないから出た》という情報もあるようでした。けれどもやはり不満の声も少なくはないようです。

<熊本地震>知事「現場分かってない」…「屋内避難」に反発 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース

<熊本地震>屋外に避難し一夜…物資準備不足指摘の声も (毎日新聞) - Yahoo!ニュース