〈棄想天蓋〉:文芸とポップカルチャーを中心に

トマトです。学位は品種(文学)です。無名でも有名でもないちょうどよい塩梅の文芸作品をとりあげて雑感を綴ることが多いです。レコードが好きです。

続・未完であること

 

〈青春ガールズムービー〉のほとんどが〈晴れ舞台でのパフォーマンス〉をクライマックスシーンとしているにもかかわらず、『幕が上がる』はそのパフォーマンスの直前で終幕してしまいます。

別言すれば、舞台の幕が上がるとともに映画の幕が下りてしまいます。

そこまでずっと王道的な〈青春ガールズムービー〉でありながら、そのラストで王道から大きく逸脱してしまうのです。

 

また、この点をより一層興味深いものとしているのは、それが映画独自の脚本であって、原作小説とも異なっているという事実です。

平田オリザの原作ではクライマックスシーンとして県大会の様子が丁寧に描かれています(そこには脱退したメンバー、吉岡先生も見守りに訪れます)。

さらにはその先の彼女らの後日談までもが語られています。

 

けれども、5月に上演を控える舞台版にまで視野を拡げると、『幕が上がる』もあながち例外ではないということにすぐさまおもい至ります。

この作品は映画と舞台のメディアミックスを行うことが早い段階から発表されています。

『幕が上がる』の題材がフラダンスや書道ではなく〈演劇〉そのものであったこと(そして原作者の平田オリザが深くかかわったこと)でこうした企画が成り立ち得たわけですが、それによってわたし達は舞台に立つ少女らを、あたかも県大会の観客のように実際に観ることが可能となります。

 

現時点(3月14日現在)ではそこで「銀河鉄道の夜」が演じられるかはわかりませんが、いずれにせよ映画と(ほぼ)同じ配役で、成長した少女らの身体パフォーマンスを目にすることができます。

映画と舞台とが合わさることによって『幕が上がる』は完成するのだとすれば、その舞台こそが〈晴れ舞台でのパフォーマンス〉に相当し、同時にそれが映画からつづく『幕が上がる』プロジェクトのクライマックスを成すとみなすことができるでしょう。

実際に観劇できるかは別として、ももクロとこの映画のファンの多くが舞台版への期待を高めていることとおもいます。

(仮に「銀河鉄道の夜」が中心的に演じられるのであれば、映画が原作小説の「一」~「八」までを、舞台が「九」をそれぞれ担う形となり、両者を合わせて原作がほぼ満たされることになるのでよりLink Linkされるのですが、そうすると演出家である「さおり」の出演が極端に少なくなりかねないために難しいかもしれません。)

 

一連の『幕が上がる』の企画は、このように〈青春ガールズムービー〉の王道的なプロットを分割して巧みに利用することで、一般的な映像作品の舞台化とはまったく異なるものになり得るでしょう。

舞台への翻案でも、続編や後日譚、アナザーストーリーでもない、真にメディアミックスと言うに相応しい企画になり得るのではないかと、期待が膨らみます。

そして、映画と舞台がそれぞれ完全に独立したものではなく、はじめからこうしたある程度のつながりを意識したものであるならば、パフォーマンス=県大会での演技直前で映画を終幕させるというのがベストな形だったということも納得できます。

 

ところで、映画に限定してもうすこし考えてみると、〈晴れ舞台でのパフォーマンス〉の直前で終ってしまうということはすなわちクライマックスが不在だということであり、映画だけしか観ない観客、映画しか観ていない時点の観客には、ともすれば中途半端で未完成な印象を与えかねません。

 

しかしながら多くの観客がそのラストに物足りなさや不満を覚えないのは、教室でのあの「走れ!」がそれを代補しているからなのではないかとおもうのです。

ラストシーンから間を置かずに「走れ!」のパフォーマンスがエンドロールとともに流れます。

すでに物語の幕は下りたにもかかわらず、あの映像は観るものにクライマックスに等しい感動を与えたのではないでしょうか。

わたし自身が、ただの教室で唄って踊っているだけなのになぜあんなに感動したのだろうか、と後で不思議におもい返したのですが、それは映画の余韻というだけではなく、〈青春ガールズムービー〉のこうした構成の側面からも解釈できるかもしれません。

 

ともかくまだまだおもいつきにすぎないので、実際の舞台がどういうものになるのかを確認したうえでまたいろいろと考えてみたいとおもいます。

それよりなにより、是非とも劇場でもう一二回ももたまいの仲睦まじさを観ておきたいとおもいます。

 

という訳で、安西信一先生的な視点で『幕が上がる』を観ると以上のようなことも言えるのではないかと考えます。

ただただ安西先生の〈青春ガールズムービー〉という枠組みに沿って整理をしてみただけなので独自性はほとんどありませんが、せっかく『ももクロの美学』という愛のある本が遺されているので、ときおりはそれを踏まえてももクロの現在について考えてみたいなあと、ふとおもいました。

 

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