〈棄想天蓋〉:文芸とポップカルチャーを中心に

トマトです。学位は品種(文学)です。無名でも有名でもないちょうどよい塩梅の文芸作品をとりあげて雑感を綴ることが多いです。レコードが好きです。

平気で生きるということ:正岡子規『仰臥漫録』(1918)

作家の日記が好きで、ときおり読みたくなります。

宮澤賢治がその類を遺していないのが残念なのですが、近代作家の日記というと正岡子規の『仰臥漫録』と石川啄木の『ROMAZI NIKKI』が双璧ではないでしょうか。

わたしは前者がとくに好きで、何年かおきに手に取って眺めています。

 

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北園克衛、聡明な水晶の脳髄またはフラスコの中の湖

 

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意味によつてあまりにも混乱した詩は、すべての葉を失ふかはりに、無作法な雀らの群集する一本の木を思はせる。

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文学に於て、書かれた部分は単に文学に過ぎない。書かれない部分のみが初めてポエジイと呼ばれる。フロオベルが詩人であったのは、フロオベルが書いた文学に比較して、彼がいかに多くのポエジイを彼自身に持つてゐたかを意味するに外ならない。

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意味のない詩を書くことによつて、ポエジイの純粋は実験される。詩に意味を見ること、それは詩に文学のみを見ることにすぎない。

 

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竹中郁、リリカルなモダニスト

一つ前の記事のなかで『詩と詩論』に言及したところ懐かしさを覚え、久しぶりに何冊か開いてみようとおもい立ちました。

読み進むうちに線を引いた箇所などにあたり、かつて考えたであろうことを朧げに憶い出しました。

 

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ことばで世界を凍らせるということ

年末年始に、すこしまとめて前衛俳句を読みました。

ふり返ると昨年は詩にあまり触れずに過ごしたということにおもい至ったためです。

ゆっくりと短詩について考えたくて俳句を選びました。

 

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Project - Itoh という計画についての雑感

先日、Project - Itoh の映画『ハーモニー』を観ました。

わたしは原作が好きで、重要な作品だとおもっており、四年ほど前から講義で扱うなどもしていました。それもあってこうした形で映画が公開されたことを残念におもいます。

 

遡れば映画『屍者の帝国』も主題が曖昧であるように感じました。

こちらの原作は必ずしも好きとは言えないのですが、少なくとも主題に関しては絶対的に評価をすることはできていました。

屍者の帝国』という小説の凄さは、それまでの伊藤計劃の主題を引き継ぎつつ、同時に円城塔自身の主題もしっかりと織り込んで遺稿を完成させたところにこそあるとおもいます

 

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くじるら くじる えろらる らなる らな なや:大原まり子「銀河ネットワークで歌を歌ったクジラ」(1982)

クジラが船に見立てられ、そして空を飛ばされるというのはSFでよくみる光景です。

形体やスケール感からしてごく自然な連想であって、『ドラえもん のび太の小宇宙戦争』のようにクジラ型の宇宙船が登場したり、B・スターリング『塵クジラの海』のようにクジラそのものが改造された船が登場したりします。

 

後者の一つとして大原まり子の「銀河ネットワークで歌を歌ったクジラ」を挙げることができます。

 

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アブノーマルな、余りにアブノーマルな:A・チュツオーラ『薬草まじない』(1981)

九月に文庫化された、エイモス・チュツオーラの『薬草まじない』を読みました。

岩波文庫では『やし酒飲み』につづき二冊目、ちくま文庫の『ブッシュ・オブ・ゴースツ』を含めると三冊目の文庫化です。わたしはチュツオーラをそれほど読んでおらず、文庫二冊とトレヴィルから出ていた二冊と合わせてこれが五冊目でした。

ことし読んだ本のなかで、いちばんおもしろかったかもしれません。

 

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理外の理、マジックリアリズムのような:『今昔物語集』

ラテンアメリカ文学が好きなので月に一冊くらいはそうした本を読みます。

新しい本にも手を伸ばしますが、コルタサルなどをぱらぱらと再読することが多いです。

 

世にラテンアメリカ文学の愛好者は多く、現実やネット上で頻繁に出会うのですが、意外と日本のマジックリアリズムの話題にはなりません。

たとえば伊井直行中井紀夫など、とてもおもしろいのに著書の多くが絶版で残念におもいます。

 

とくに80年代以降に日本でも中南米的なマジックリアリズムを取り入れた作品が多く現れますが、それらのはるかはるか昔から現実のなかの非現実、非現実を織り込んだ現実を描く作品群は存在しています。

その最たるものがおそらく『今昔物語集』です。

 

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未来としての日本の起源:B・スターリング「江戸の花」(1986)

かつて、SFはよく日本を舞台としました。

いまでもそうした作品はなきにしもあらずですが、サイバーパンクの時代であった80年代には日本こそが未来であるとして、あるいは未来とは日本であるとして、日本的なものや日本そのものを描くことが定番化しました。

(それらに先行するものとして、日本に住み、日本でSFの創作をはじめたイアン・ワトスン「銀座の恋の物語」などもあります。これを収めた『スロー・バード』はよい短篇集です。)

 

サイバーパンクの盟主であり日本を贔屓にしているブルース・スターリングにも日本を舞台とした「江戸の花」という作品があります。1986年に発表されてこのかた邦訳書には未収録でしたが、昨年刊行されたハヤカワ文庫の『SFマガジン700【海外篇】』に採られ、わたしはそれではじめて読みました。

 

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