北園克衛、聡明な水晶の脳髄またはフラスコの中の湖
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意味によつてあまりにも混乱した詩は、すべての葉を失ふかはりに、無作法な雀らの群集する一本の木を思はせる。
*文学に於て、書かれた部分は単に文学に過ぎない。書かれない部分のみが初めてポエジイと呼ばれる。フロオベルが詩人であったのは、フロオベルが書いた文学に比較して、彼がいかに多くのポエジイを彼自身に持つてゐたかを意味するに外ならない。
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意味のない詩を書くことによつて、ポエジイの純粋は実験される。詩に意味を見ること、それは詩に文学のみを見ることにすぎない。
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竹中郁、リリカルなモダニスト
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一つ前の記事のなかで『詩と詩論』に言及したところ懐かしさを覚え、久しぶりに何冊か開いてみようとおもい立ちました。
読み進むうちに線を引いた箇所などにあたり、かつて考えたであろうことを朧げに憶い出しました。
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理外の理、マジックリアリズムのような:『今昔物語集』
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ラテンアメリカ文学が好きなので月に一冊くらいはそうした本を読みます。
新しい本にも手を伸ばしますが、コルタサルなどをぱらぱらと再読することが多いです。
世にラテンアメリカ文学の愛好者は多く、現実やネット上で頻繁に出会うのですが、意外と日本のマジックリアリズムの話題にはなりません。
たとえば伊井直行や中井紀夫など、とてもおもしろいのに著書の多くが絶版で残念におもいます。
とくに80年代以降に日本でも中南米的なマジックリアリズムを取り入れた作品が多く現れますが、それらのはるかはるか昔から現実のなかの非現実、非現実を織り込んだ現実を描く作品群は存在しています。
その最たるものがおそらく『今昔物語集』です。
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未来としての日本の起源:B・スターリング「江戸の花」(1986)
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かつて、SFはよく日本を舞台としました。
いまでもそうした作品はなきにしもあらずですが、サイバーパンクの時代であった80年代には日本こそが未来であるとして、あるいは未来とは日本であるとして、日本的なものや日本そのものを描くことが定番化しました。
(それらに先行するものとして、日本に住み、日本でSFの創作をはじめたイアン・ワトスン「銀座の恋の物語」などもあります。これを収めた『スロー・バード』はよい短篇集です。)
サイバーパンクの盟主であり日本を贔屓にしているブルース・スターリングにも日本を舞台とした「江戸の花」という作品があります。1986年に発表されてこのかた邦訳書には未収録でしたが、昨年刊行されたハヤカワ文庫の『SFマガジン700【海外篇】』に採られ、わたしはそれではじめて読みました。
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